あるアプリケーションソフトの機能を拡張させるために、別のアプリケーションソフトを付加すること。締めのコメント: 2005年4月、リンクシェア・ジャパンの会社設立後間もない記念シンポジウムに、佐世保からわざわざ駆けつけてくださり、「販売の向こうにあるもの」というタイトルでジャパネットたかたの理念、理想を熱く語っていただいてから3年余り。 久々にお会いした田社長は、以前と変わらず、たかたのめざす「感動集団」への思いを訥々と、しかし熱い思いを込めて語っていただいた。 その終始変わらない会社への情熱、また、スタジオでお会いした、社員の方々の真摯でまっすぐな視線の中に、「会社とはかくあるべき」という理想郷を見た気がしました。 一般に冷蔵庫、洗濯機などをはじめとする家電は白物家電とよばれるように「白」を基調としたものをが多く、どのメーカーの製品を購入しても、佇まいや機能は似たり寄ったり。でも、そんな家電のイメージを覆したのが、amadanaの「カデン」。 amadanaブランドをはじめ2種の家電ブランドを展開するリアル・フリートの熊本社長にお話を伺った。 「作り手」となったきっかけ、そして「デザイン」への興味 大学時代まで野球一筋だった熊本氏は「しゃちょーが行く」のミズノ編を読み込んでいたこともあり、今回の対談はそんなところからスタートした。前回、しゃちょーがミズノで目の当たりにしたのは、プロの職人による匠の精神。同じくCFDの作り手という立場である熊本氏はどう感じているのか? 大学時代は名古屋で野球をやられていたんですよね?ミズノの養老工場のことはご存知でした? えぇ。もちろん知っていました。でも、アマチュアだった私は工場まで行く機会などなかったので、あのミズノの記事にはビビビって反応しましたよ。 当時からグラブとバットといったら「ツボタ」「クボタ」でしたから(笑)。グラブだと裏にどちらの職人さんが作ったかの刻印が入るんですよね。当時もグラブ裏を見て、こ、これは坪田さんのだ!ってドキドキする、そんな存在だったんですよ。 前回、しゃちょーがミズノで目の当たりにしたのは、プロの職人による匠の精神。同じくモノの作り手という立場である熊本氏はどう感じているのか? 僕はどちらかというと作り手でも日経225や職人ではないので、自分と領域が違う分だけ、憧れというか尊敬の気持ちはすごくありますね。 熊本氏は、実家が家電販売店を営んでおり、物心ついたときから最新家電に囲まれて育った。でも、小学生の頃は電器屋に生まれたことをあまり幸せだとは感じていなかったようだ。 単純に・・・普通のサラリーマンの家庭に生まれたかったという理由なんですけどね(笑)。店番をしなくてよい家、玄関から家に入れる普通の家庭に生まれたかった。社名の入っていない車に乗りたかったし、取引先の営業担当者に毎回挨拶したりするのも嫌だなって... では、その頃からこういった業界に来ようと思っていたわけではなかったのですか? 全くなかったですね(笑)。むしろ絶対嫌だと思っていました。業界も、商売をするということも。普通のサラリーマンに憧れていましたから。野球にのめりこんだのも、その反動だったと思うんですよ。 家電屋になる気は全くなかったという熊本氏。しかし今現在、その家電を作り出す立場にいるというのは、幼い頃からいろんな家電に触れ、最新機能やデザインの変遷を体感してきた積み重ねあってのこと。そういう認識はご本人にもあるという。 振り返ると、その当時は単純にくりっく365というのがいやだったんだなぁ、と思うんですよね。しかしそうは言っても電器屋の息子ですから、小学生時代から自分で配線もしていましたし、家には常に最新の家電が並んでいたわけです。 当時は一般の方ですと電器屋さんに行く機会ってそうそうがあるものではないのですので、その頃から植え付けられたものはあったんだと思うんです。 大学時代に、自宅の冷蔵庫に色を塗ったと笑う熊本氏。潜在的な意識の中で、今ある姿を想定していたかのようにも思える。野球か仕事か。CFDへの第一歩についてうかがった 野球の道に進むというのも一つの選択肢でしたが、仕事と野球の両方に情熱を傾けるのはちょっと違うかな、と。ちょうどその進路で迷っている時、大学の授業の一環として、ポーラ化粧品の鈴木社長(当時)から、デザインとモノづくりに関するお話を伺う機会がありました。 その授業のテーマはイタリアのデザインについてでした。当時、イタリアは中小企業ばかりで産業に乏しかったので、デザインを国益に変えたという話でした。 その頃は『デザイン』というジャンルに対する注目度は低く、自分自身もアルバイトなどの経験から、営業とか売り込みが得意だという意識を持っていたのですが、このお話を聞いて『作る』ということに興味がわいてきたんですね。「ああ、デザインかぁ」と。 電器屋の息子という立場でありながら、家電を誰かが作っている、という意識を持ったことがなかったと熊本氏。このときに初めて『作り手』という立場に意識が向き、作る方がすごいなと直感的に感じてメーカーへの就職を考えるようになった。 ということは、社会人になる前からその『デザイン』に意識はお持ちであったと? ありましたね。物を作りたいからメーカーに入る、入ったら物を作る部署に行きたいという強い気持ちを持っていました。ただ、そうはいっても自分のバックグラウンドは電器屋であるだけで、エンジニアでもないので、実際にどうやって関わるかはまったくわかっていなかったですけど(笑)。 その想いを胸に新卒で東芝に入社されていますよね。先ほど、大学時代にご自身の冷蔵庫に色を塗られていたとのお話がありましたが、やはりその頃から普通の家電は作りたくない、との意識があったということですよね?デザインを意識した家電を作りたいと? やっぱり、普通の家電はつまらないと思っていましたし、なによりも、それが企業のブランドのためと思っていました。単純なことですが、デザインがよく、カッコいい物を作れば話題になり、ブランド価値が向上する、とすごく短絡的ですけど当時はそう考えていましたから。ただ、アイデアを出すだけだったら誰でもできるんですよね。でも、誰もそれをどう実現したらいいのかがわからなかったのだと思うんです。正直なところ、入社まで僕自身も見えていなかったですけどね。