dpiと同義語。Pixelはコンピューターで画像を扱う際の最小単位。画素。 いままでミズノさん製品を使われて、その後他社製品に移ってしまった方はいますか? 僕が25年この仕事に携わってきて、ほとんどミズノ以外を使われたお客様はいないですね。外国人の方ではいますが。 ミズノのクラフトマンはやっぱり他のメーカーのクラフトマンより信頼があるようにおもいる。 そういった技術は若い方に継承を? 実は年々難しくなってきている。今はパーシモン(柿の木:昭和40年代迄はウッドクラブのヘッドはパーシモンで作られた)じゃなくて、チタン等のメタルに変わっている。どんどん便利な時代になってきていることに比例して、正直、プレーヤーの技術が下がっている気がする。 今、女子プロで上位者がコロコロ変わったり、15歳の石川遼プロが上位にきたりするのは正直「道具」がフォローしている部分が多いと思いる。昔で言うと確実な「腕」で勝負していた青木プロや岡本プロとは時代が違いますよね。 パーシモンの時代は、クラブを雨の後放置すると大阪 ビジネスホテルが膨張して破裂してしまう。だけどチタンだとどんなに雨の中に放置していてもさびませんよね。そういう流れが今のゴルフの現状かなって思いる。4大メジャー日本人がタイトルを取るなんて、って思っていましたが、この時代なら石川遼プロが15歳でタイトルとっちゃうかもって思いますね。本来はあの年であんなボールを打っちゃいかんです。 それでも、本当の頂点、トップオブトップのプロは、機械による製造技術のアップだけじゃない職人の微妙な仕上がり、そういう部分もあって、まさにそこを求めて野村さんのところに今でも来ているお客様がいるのですよね? そうであって欲しいですね。我々は、ライ19°と言われれば完璧に19°になるよう手で削ります。機械ではそこまで精緻にはできない。そうでないと我々がいる意味がない。信頼関係が一番です。 ニック・ファルドと野村氏−ニック・ファルドは1987、1990、1992年の全英オープンのチャンピオン。1989、1990、1996年のUSマスターズのチャンピオンにも輝いた、世界のトッププレーヤーの一人である。野村氏は1990年から98年の間、ファルドと世界ツアーを共に移動し彼をサポートし、メジャー優勝に貢献。工場にはファルド氏著作のゴルフ本に直筆で野村氏宛にサインが入っていた。 その部分は守っていかなきゃいけない。石川遼プロの影響なのか、最近子供にゴルフを習わせる家族が多くなり、家族で工場を見に来る方もいらっしゃるのですが、こういうハンドメイドなところを見ると、すごくクラブを大事にしてくれるようになっているみたいです。 インタビュールームの隣には、実際の試打により本人の適性や特徴を バリ島し、それぞれの人に最適なゴルフクラブをカスタムメイドするサービスを行っている。週末は既に3ヶ月先まで予約で一杯とのこと。 試打ロボット 1台約1000万円相当。これで自社や他社の新製品の性能分析をする。基本的にはフルスイング動作で試打しますが、わざと海外留学やヒールで打った場合の結果分析もする。すごい迫力。同じスイングをロボットにさせると、必ず前後2メートル程度の誤差で同じところに飛ぶそう。あーおれもロボットになりたい 途中の道は木くずでできたやわらかい道路。どうやらバット生産の際の廃材をこのように再利用する、というエコ対策面も。ちなみに同じくあまった木材を利用して、キーホルダーやストラップも最近販売をし始めたそう。そして「バット工房」という、何ともその先を期待させるような嬉しい案内が。 バット試打コーナー 「ニューヨーク・ヤンキースの松井選手も、できあがったバットをここで試打されていましたよ」という大野氏の一言にしゃちょー、自分も打ってみたいと顔がゆるむ。 打点となる棒上にボールを置き、止まったボールを打つ格安航空券 国内という基本動作だが、なぜかボールの下の棒を思いっきり打ってしまったしゃちょー。(棒が倒れる瞬間激写)その後、ひたすらお詫びをする。気を取り直して、バット工房へ。 バット工房 ついに、ミズノの至宝、バット職人50年目のミズノテクニクス(株)スポーツ品製造部バット製造課プロバットマイスター久保田五十一氏(以下久保田氏)とご対面。久保田氏は平成15年度に厚生労働省が選定する『現代の名工』に選ばれ、平成17年度春の褒章『黄綬褒章』(それぞれの職業分野においてその道一筋に励んだ技能者に贈られる名誉な褒章)を受章されている。イチロー選手、松井選手を始め、数々の有名プロ野球選手のバットを作ってきた名人。今は若いクラフトマン達を指導する立場として勤められている。同じ空間に立った瞬間、久保田マイスターの「オーラ」を感じ、緊張気味のしゃちょー。 はじめまして。お会いできて光栄です。久保田さんがこの職に付かれる背景として、野球などやられていたのですか? いいえ、まったく(笑)。実は自分の中学がこの工場のANAツアー・スカイホリデーだったのです。非常に身近な存在でしたし、当時は中学を卒業したら近くに勤めるのが自然でしたから。当時のバット職人は30名位。ピークで52-3名いましたね。生産本数は82万本くらいでしょうか。全国の需要が300万本でしたから、ミズノはその3分の1の100万目指せ!という風潮がありました。 久保田さんご自身が結婚式 招待状選手の特注をいまでも作っているとか。そのあたりのエピソードをぜひお聞かせ下さい。 それでね。だいたい我々は毎年各球団新人選手用のバットをあらかじめ何個か用意しているのです。突然使うって言われてすぐ対応できるように。代表的なモデルとして元巨人:原さん・篠塚さんのモデルのバットがあった。イチロー選手は「篠塚さんのアイメ使っています」と言いました。そこで、「変えたいと思われるところありますか?」と聞いたのです。そうしますと「ちょっとヘッドを軽くしたい。できますか?」とおっしゃいました。軽くするにもいろいろな手法がありますが、作り手としては、ヘッド10センチを細く作る方を進めたい、と提案させて頂きました。その結果、うまくあったのでしょうね(笑