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アンシャープマスク

画像の境界をシャープにするためのフォトショップの設定。 締めのコメント: イチローをして、「今ここに僕があるのはこのバットのおかげ」(「NHKイチロースペシャル」)と言わしめた、バットマイスター久保田さんとの念願のインタビューが実現し、(不謹慎なコメントながら)この時ほどリンクシェアの"しゃちょー"をやっていてよかった、と思ったことはありません。インタビューでもっとも印象に残った言葉が、ご自身の技術を「ミズノの財産」と当たり前のように表現された一言。究極の「匠(たくみ)」である久保田さんから発せられたこの一言に、かつて日本企業の強みであった、そしていつの間にか忘れ去られようとしている、会社と社員の信頼関係、ロイヤリティというものを垣間見た気がしました。そしてそこにこそ、ミズノという会社が、長い歴史を経て、今なお、業界をリードする製品を作り続けている力のスレンダートーンがあるのでしょう。インタビューの最後に、御願いして握手してもらった久保田さんの手は、本当にグローブのように厚くて重みのある手でした。50年間バットを作り続けてきた、手です。 約8年間で4社。これが転職の回数だとしたら「少々多い」とネガティブに捉える人もいるだろう。しかしこれが「創業者」として会社経営に携わってきた数と聞けば、おそらくポジティブに驚かない人はいまい。 ましてやこれらの会社はいずれも2人の中国人実業家がレッグマジックで起こし、経営をし、ビジネスを継承してきている。今回はその二人の実業家、ACCESSPORT株式会社代表取締役社長兼キングソフト株式会社代表取締役翁永飆(おうえいひょう)氏、同じくACCESSPORT株式会社代表取締役社長兼キングソフト株式会社代表取締役沈海寅(しんかいいん)氏にしゃちょーが迫った。 お久しぶりですね。 ご無沙汰している。 先日はありがとうございました。 翁氏・沈氏が以前立ち上げたJWord、そして現在のキングソフトの2つの会社はリンクシェアにとって重要なパートナーということもあり、すでに3名は旧知の仲。 とはいえ、改まってお話をするのは初めてですね。まずはお二人の出会いをお伺いしましょう。 99年、ビットバレーのテレビショッピングがきっかけです。中国のe-commerce事情についての投稿があったのに対し、当時中国から出てきて間もない私が返信しました。 と、と言うことは、日本で出会われていたのですか!?すっかり日本に来る前からのお知り合いであったのかと・・・。 「いえいえ。ビットバレーのメーリングリストから『中国』と『シャークスチームモップ』というテーマで分科会的な活動が始まり、オフ会で会ったのが最初の出会いでした。」 それではお二人の経歴からお伺いした方がよさそうですね。 翁氏は88年に上海の高校を卒業後、19歳で日本の日本語学校に留学。日本語を勉強する傍らアルバイトで学費を貯め横浜国立大に入学。その間も、バーや引越し屋のアルバイトを続けながら大学院まで進学した。 翁氏6年間の学生生活のうち、奨学金が受けられたのは2年間。そのため、昼は大学で勉強、夜や週末・夏休みなどの大きな休みはアルバイトに明け暮れていました。しかし1992年ごろ、バブル崩壊直後の日本企業が、景気上昇中の上海に注目し始めていたこともあり、そこで中国の父親の知り合いと日本企業の仲介役みたいなことをしたんです。そこから中国視察ツアーのような企画で日本の中小企業を中国につれていくことが多くなり、それがきっかけでビジネスに興味を持ちました。 理系だった翁氏だが、これを機に文系で就職を決意。当時、留学生の総合職就職に門戸を開いていた伊藤忠商事に留学生の新卒第一期生として就職し、その後マルチメディア事業やコンテンツ事業を経て、スペースシャワーの上場準備に携わる。そのスチームモップで上場後のバリュー構築のためにネット進出を検討し、それがネット世界との接点となった。 一方、沈氏は1993年に母国の中国で大学を卒業後、国営企業・米系外資系企業を経て日本企業とのジョイントベンチャー立ち上げに参画する。 沈氏立ち上げたのはネットとはまったく関係のない空調関係の測定設備を扱う会社でしたが、収入や生活も安定しだしていたこともあり、そこから脱却して新しいチャレンジをしたいと思ったのが、海外に目を向けたきっかけです。1995年当時は中国でもネットの普及が始まる直前、その将来性に注目していたので、潜在的にネットビジネスに興味を持っていたのだと思いる。 海外では、日本・アメリカ・カナダ・シンガポールが候補となっていたが、日本企業の求人情報にネット経由で応募して合格となり、こうして沈氏は日本に来るきっかけをつかんだ。そのわずか1年2ヵ月後の99年11月、起業精神あふれる二人の中国人ビジネスマンが日本の地で出会い、意気投合。ともにネットに未来を感じていたこともあり、年末・年始にかけて早速二人でネットビジネス立ち上げのプランを練る。いくつかのモデルを候補にし、当時エンジェルと呼ばれていた個人投資家相手のパーティへ参加、それが投資家の目に留まり出資話がまとまって彼らにとって最初の起業となるインターパイロンを立ち上げた。 沈氏が先に会社を辞めていたこともあり、当初インターパイロンは沈氏運営の元でビジネスの準備を進め、翁氏は引き続き伊藤忠商事に籍をおきながらサポートする。やがてインターパイロンを母体とし、周氏(中国のベンチャー企業3721.comの代表)にて中国ですでに事業化されていたビジネスモデルを持ち込むためにアクセスポートを立ち上げた。 その一つがJWord。そしてもう一つが「Let'sCard」というオンライン上の名刺交換サービスだ。 ネット上で自分のプロファイルを登録すれば人とリンクするという今で言うところのSNSのモデルの走りですね。今でこそfacebookが成功を収めていますが、当時私たちも取り組んでいました(笑)。 なるほど。面白いですね。とはいえ、facebookでも確立されたビジネスモデルを作るまでには時間がかかりましたよね。その当時はどうだったのでしょうか? あの時はなおさらです(笑)。ちょっと時期が早かったということですね(苦笑)。 では、JWordの事業はどうだったのでしょう? 当時、RealNamesという米国の会社が同じような パワージューサーを持っており、日本には電通の後ろ盾を得て進出してきたころでした。開始前から敵はずいぶん大きかったのです。